本から学ぶだけが読書ではない|自分の感覚や暗黙知を言語化するための読書法とは

読書

読書というと、本に書かれた新しい知識や技術を吸収する行為をイメージしがちです。しかし、本の使い方はそれだけではありません。すでに経験として身についているものの、うまく言葉にできない感覚を整理するために本を読むこともできます。自分の中にある直感や経験知と、著者が提示する概念・語彙・説明方法を照らし合わせる読書です。

例えば、仕事や趣味で長年続けていることについて「どうすればうまくできるのかは感覚的に分かるけれど、人には説明できない」ということがあります。そこで解説書を読むと、「自分が無意識にやっていたことは、こう説明すればいいのか」と気づくことがあります。このような読書は決して不自然なものではなく、暗黙知の言語化やメタ認知という観点から理解できます。

「本から知識を得る」だけが読書ではない

読書にはさまざまな目的があります。知らない分野を勉強するために読む人もいれば、娯楽として小説を読む人、仕事上の問題を解決するために必要な箇所だけ読む人もいます。

その中には、すでに知っていることを整理するための読書もあります。読んでいて「これは知っている」と感じるだけではなく、「自分が感覚的に理解していたものを、この著者はこう表現しているのか」と文章そのものを参考にする読み方です。

例えばスポーツ経験者が初心者向けの技術書を読んだとき、動作自体には新しい発見がなくても、「初心者にはこの順序で説明すれば理解しやすいのか」という発見があることがあります。この場合、読者が本から得ているのは技術そのものではなく、技術を説明するための言葉や構造です。

感覚では分かるのに説明できない「暗黙知」とは

こうした現象を理解するときに役立つ概念の一つが「暗黙知」です。暗黙知とは、簡単にいえば「本人は分かっていたり実行できたりするのに、完全には言葉で説明しにくい知識」です。

自転車の運転が分かりやすい例です。自転車に乗れる人は、走りながら無数の細かなバランス調整をしています。しかし「転倒しないために身体のどの部分を何度動かしているのか」と聞かれて、すべてを正確に説明できる人はほとんどいません。それでも実際には乗ることができます。

料理、接客、文章作成、絵、音楽、プログラミング、スポーツ、職人技などでも似たことが起こります。経験を積むほど、毎回手順を頭の中で文章として考えなくても判断できるようになるからです。

「できる」と「説明できる」は別の能力

ある技術を高いレベルで実行できることと、その技術を第三者へ分かりやすく説明できることは同じではありません。非常に上手な人が必ずしも優れた指導者になるとは限らないのも、この違いから説明できます。

熟練すると「ここでは当然こうする」という判断が増えていきます。本人にとって当たり前になった部分ほど、初心者がどこで迷うのかを見落としやすくなります。

そこで初心者向けの解説本を読むと、自分なら一瞬で判断してしまう部分が細かく分解されていることがあります。「そうか、自分はこの判断を無意識にしていたのか」と気づければ、自分自身の技術を改めて観察するきっかけになります。

解説本が「自分の知識を言葉にする辞書」になる

すでに技術を持っている人にとって、解説本は単なる教科書ではなく、自分の中に存在していた感覚へ名前を付けるための辞書のように機能する場合があります。

例えば写真撮影を長く続けている人が、被写体を見た瞬間に「ここから撮ればまとまる」と感じたとします。本人は理屈を考えずに撮影していますが、構図の解説書を読めば、その判断の一部を「視線誘導」「余白」「対角線構図」といった既存の用語に置き換えられるかもしれません。

すると「なんとなく、この角度がいい」から、「この位置だと背景の線が被写体へ視線を誘導するので、こちらから撮っている」と説明できるようになります。技術そのものを本から獲得していなくても、技術について考えたり伝えたりする能力は向上します。

読書によって自分の思考を観察する「メタ認知」

もう一つ関係するのがメタ認知です。簡単に表現すれば、自分が何を知り、どのように考え、どこが分かっていないのかを一段高いところから捉えることです。

本を読みながら「ここは自分も同じ考え方をしている」「ここは違う」「この工程は自分の場合は無意識だった」と比較すると、読書の対象は本だけではなくなります。本を鏡として、自分自身の思考や技能も観察していることになります。

特に経験の長い分野では、この読み方に意味があります。新しい知識を100個覚えることより、「自分がこれまで何をしていたのか」を明確に認識することのほうが重要になる場面もあるためです。

「共感できる文章」を集めるだけとは少し違う

自分の考えと似た文章を読む行為には注意点もあります。自分と同じ意見だけを集め、「やはり自分は正しかった」と確認するだけになると、思考の幅が狭くなる可能性があります。

一方で、言語化を目的とした読書では「著者の結論に同意するか」だけでなく、なぜこの説明は分かりやすいのか、どの概念を使っているのか、自分の経験とはどこが違うのかを検討します。

自分と反対の考えが書かれた本も役立ちます。「自分ならなぜ違う判断をするのか」を説明しようとすると、それまで無意識だった判断基準が見えてくるからです。

初心者向けの解説本ほど役立つことがある

すでに実務経験がある分野について初心者向けの本を読むと、「そんなことは全部知っている」と感じることがあります。しかし、言語化が目的なら、それは必ずしも無駄ではありません。

初心者向けの良質な解説書は、複雑な技術を細かいステップへ分解し、専門用語を整理し、具体例を使って説明しています。つまり「知っている人が、知らない人へどう伝えるか」の実例集でもあります。

例えば自分の仕事を後輩へ教える必要が生じたとき、自分向けの高度な専門書より、初心者向けの入門書のほうが説明方法の参考になるケースがあります。

本の文章を「借りる」ときに注意したい著作権と引用

本を読んで表現方法を学ぶことと、著者の文章そのものをコピーすることは区別する必要があります。語彙、説明の考え方、論理展開などを参考にして、自分自身の経験を自分の文章として表現するのであれば、通常の学習活動として自然です。

一方、書籍の特徴的な文章をそのままブログ、SNS、動画、教材などへ掲載する場合には著作権への配慮が必要です。必要性のある引用を行うのであれば、引用部分と自分の文章を明確に区別し、出典を示すなど、著作権法上の引用要件を確認する必要があります。

言語化能力を高めるという意味でも、優れた一文をそのまま借りるより「この著者の説明はなぜ理解しやすかったのか」を分析し、その仕組みを使って自分の言葉で説明し直すほうが有益です。

言語化のための読書をさらに有効にする方法

このタイプの読書では、最初から最後まで順番に読む必要がない場合もあります。自分が説明できずに困っているテーマを先に決め、そのテーマについて複数の著者がどう説明しているか比較する方法があります。

例えば「自分はこの作業の良し悪しを瞬間的に判断できるが、その理由を説明できない」と気づいたら、その判断に関係する章を複数の本から探します。そして「著者Aは3要素、著者Bは5段階で説明している。自分の場合はどちらに近いか」と整理します。

最後に本を閉じて、自分の具体的な経験だけを材料に説明を書いてみます。本の文章を覚えるのではなく、本によって発見した概念を使って自分の経験を再構成するわけです。これを繰り返すと、直感と説明の距離を少しずつ縮められます。

読書で新しい知識が増えなくても価値はある

読書の成果を「知らなかった情報を何個覚えたか」だけで評価すると、経験豊富な分野の入門書は価値が低く見えてしまいます。しかし実際には、知識の整理、既存知識への名前付け、自分の思考の確認、説明方法の獲得など、別の成果があります。

また、自分では理解していると思っていたことを文章にしようとして初めて、説明できない部分が見つかることもあります。「分かっている」と「説明できる」の間にある穴を発見できること自体が読書の成果です。

その意味では、本は知識を一方向に受け取る媒体であるだけでなく、自分が持っている知識を点検するための相手にもなります。

まとめ:自分の直感を言葉へ変換するために本を読む方法もある

読書は必ずしも「知らないことを本から教えてもらう」ためだけの行為ではありません。経験によって身についた技術や判断が先にあり、それを説明できる形へ変換するために本の概念や説明方法を利用する読み方もあります。

この読み方は、暗黙知の言語化やメタ認知という観点から考えると理解しやすくなります。特に、実践はできるのに人へ説明することが難しい人にとって、良質な解説書は自分の経験を整理するための有効な材料になります。

「本から何を新しく学んだか」だけでなく、「本を読んだことで、自分がすでに知っていたことをどれだけ明確に説明できるようになったか」も読書の成果です。新しい知識を取り込む読書と、自分の中にある知識を言葉にする読書を使い分けることで、本の活用方法はさらに広がります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました