ジョイス・キャロル・オーツ(Joyce Carol Oates)の小説『Babysitter』を読み始めると、断片的な場面転換や複数の視点、現実と想像の境界が揺らぐような語り方に戸惑うかもしれません。一般的な長編小説のように出来事が時系列に沿って一直線に進む作品を想像していると、特に冒頭はかなり実験的、あるいは「前衛的」に感じられます。
ただし、オーツの作品がすべて『Babysitter』と同じような形式で書かれているわけではありません。オーツは非常に多作で、リアリズム色の強い長編、ゴシック、心理小説、犯罪小説、ホラー、短編など幅広い作品を発表してきた作家です。作品によって読みやすさや実験性にはかなり差があります。
そのため『Babysitter』を基準に「オーツはいつもこの書き方なのか」と考えるより、作品ごとの特徴を知って次に読む一冊を選ぶほうが、オーツという作家の幅広さを理解しやすくなります。
- 『Babysitter』はオーツ作品の中でも実験的な構成を持つ小説
- ジョイス・キャロル・オーツの作品は全部前衛的なのか
- オーツ作品に共通しやすいのは形式より「不安定な心理」と暴力
- 代表作『them(かれら)』は『Babysitter』とは違うタイプ
- 『Blonde』では実在人物とフィクションを大胆に融合している
- 短編『Where Are You Going, Where Have You Been?』から読む方法もある
- 『Babysitter』が読みにくいときは時系列を完全に整理しようとしなくてもいい
- 次に読むオーツ作品は何を基準に選べばいい?
- 「前衛的な作家」というより作風の振れ幅が非常に大きい
- まとめ:『Babysitter』は実験的だが、オーツ作品すべてが同じ作風ではない
『Babysitter』はオーツ作品の中でも実験的な構成を持つ小説
『Babysitter』は2022年に刊行されたジョイス・キャロル・オーツの長編小説です。出版社Knopfを擁するPenguin Random Houseの作品紹介では、1970年代のデトロイトを舞台に、裕福な主婦ハンナ・ジャーヴィスと、子どもを狙う連続殺人犯「Babysitter」をめぐる物語として紹介されています。[参照]
この作品で特徴的なのは、単純に事件の真相を順番に追っていく犯罪小説ではないことです。視点や時間、心理的なイメージが断片的に提示されるため、読者は情報を自分で組み合わせながら物語を理解していくことになります。
したがって冒頭で「かなり前衛的だ」と感じても不思議ではありません。むしろ『Babysitter』では、断片化された語りそのものが不安や混乱、恐怖を読者に体験させるための重要な表現方法になっていると考えると読みやすくなります。
ジョイス・キャロル・オーツの作品は全部前衛的なのか
結論から整理すると、オーツの作品すべてが『Babysitter』のように前衛的というわけではありません。実験的な語りを取り入れた作品がある一方、比較的明確な物語を持つリアリズム作品や、ゴシック、サスペンス、ホラーなどジャンル小説的な面白さを前面に出した作品もあります。
オーツを一つの作風で説明しにくい理由の一つは、その圧倒的な作品数です。小説だけでなく、短編、詩、戯曲、エッセイ、批評など幅広いジャンルで執筆してきました。本人の公式サイトにも膨大な著作が掲載されています。[参照]
そのため「オーツ=前衛文学」と固定してしまうより、リアリズムを土台にしながら、作品によって実験性、ゴシック、暴力、心理描写、社会批評などの比重を大きく変える作家と考えたほうが実像に近いでしょう。
オーツ作品に共通しやすいのは形式より「不安定な心理」と暴力
『Babysitter』以外の作品を読む際に注目したいのは、文体や構成が同じかどうかより、繰り返し現れるテーマです。オーツの作品では、暴力、犯罪、家族、階級、ジェンダー、欲望、社会的不安、自己認識など、人間の心理と社会の暗部に関係する題材がしばしば扱われます。
つまり『Babysitter』で感じる不穏さは、断片的な構成だけから生まれているわけではありません。日常生活のすぐ近くに暴力や破綻が存在するという感覚自体が、オーツ作品を特徴づける重要な要素です。
別の作品では語り方がもっとオーソドックスでも、「安心していた日常が少しずつ崩れていく」「登場人物自身にも自分の欲望や恐怖が理解できていない」といった不安定さが現れることがあります。形式は変わっても、人間心理の危うい部分を凝視する姿勢には連続性があるというわけです。
代表作『them(かれら)』は『Babysitter』とは違うタイプ
オーツの代表的長編として知られるのが『them』です。1969年に刊行され、1970年に全米図書賞(National Book Award)を受賞しました。National Book Foundationの公式ページでも、1970年のFiction部門受賞作として確認できます。[参照]
『them』はデトロイトを背景として社会階級、家族、貧困、暴力などを描いた作品です。『Babysitter』と同様にデトロイトや暴力という要素がありますが、作品としての手触りは同一ではありません。
『Babysitter』の断片的な構成が気になったものの、オーツの描くアメリカ社会や暴力には興味を持ったという場合、代表作へ進むことで、実験的な形式だけではないオーツの社会派・リアリズム的な側面を知ることができます。
『Blonde』では実在人物とフィクションを大胆に融合している
オーツの代表作を語る際に外せない長編の一つが『Blonde』です。題材となっているのはマリリン・モンローですが、通常の意味での伝記として書かれた作品ではありません。
出版社HarperCollinsの作品紹介でも、『Blonde』はマリリン・モンローの内面的・詩的な人生を大胆に再構成する作品として位置づけられています。[参照]
ここでは実在人物を扱いながら、事実を順番に説明する伝記とは異なる文学的方法が採られています。その意味では実験的な作品ですが、『Babysitter』とは別方向の実験性と考えたほうがよいでしょう。「前衛的か、そうでないか」という二択では捉えにくい作家であることがよく分かる作品です。
短編『Where Are You Going, Where Have You Been?』から読む方法もある
長編ではなく短い作品でオーツの特徴を確かめたいなら、『Where Are You Going, Where Have You Been?』も重要な作品です。若い少女Connieと謎めいた男Arnold Friendを中心とする短編で、オーツの代表的短編の一つとして広く読まれています。
この作品でも、平凡な日常の中へ不気味な存在が侵入してくるというオーツらしい感覚を味わえます。『Babysitter』とテーマ上の共通点を探しながら読むのも興味深いでしょう。
長編の複雑な構成に苦戦している場合、いったん短編を読むことで、オーツが恐怖、性的脅威、暴力、日常の崩壊をどのように描く作家なのかを短い文章の中で確認できます。
『Babysitter』が読みにくいときは時系列を完全に整理しようとしなくてもいい
断片的な小説を読むと、「今の場面はいつなのか」「これは現実なのか想像なのか」「この人物は誰なのか」と、一つひとつ確定させたくなることがあります。しかし『Babysitter』のような作品では、最初からすべてを完全に整理しようとすると、かえって読み進めにくくなる場合があります。
最初の段階では、分からない部分を保留しながら、誰の視点らしいのか、どの人物が繰り返し登場するのか、どのイメージや出来事が反復されるのかを意識して読む方法があります。断片が増えていくにつれて、それまで曖昧だった場面の意味が見えてくることがあるからです。
たとえば映画で複数の場面を短く切り替える「モンタージュ」を見るように、それぞれの断片をすぐ一本の時系列へ変換するのではなく、まず並べて受け取ってみるイメージです。構成そのものが登場人物の心理状態や作品の不穏さを表現している可能性を意識すると、「読みにくさ」も作品の一部として捉えやすくなります。
次に読むオーツ作品は何を基準に選べばいい?
『Babysitter』の次に何を読むかは、同作のどの部分を面白いと感じたかによって変えるとよいでしょう。オーツは作品数が非常に多いため、年代順に読む必要はありません。
| 興味を持ったポイント | 次の作品候補 | 特徴 |
|---|---|---|
| 社会と暴力の描写 | 『them』 | オーツを代表する社会的・リアリズム的長編 |
| 大胆な文学的実験 | 『Blonde』 | マリリン・モンローの人生をフィクションとして再構築 |
| 短い作品でオーツらしさを知りたい | 『Where Are You Going, Where Have You Been?』 | 日常が脅威へ変化する代表的短編 |
| 『Babysitter』の構成自体が面白い | 他の実験性の高い長編・短編 | 語りや視点そのものを楽しむ読み方に向く |
逆に『Babysitter』の題材は面白いものの断片的な構成だけが苦手だった場合でも、オーツそのものを避ける必要はありません。作品ごとに形式が大きく異なるため、比較的物語性の強い作品を選べば印象が変わる可能性があります。
「前衛的な作家」というより作風の振れ幅が非常に大きい
ジョイス・キャロル・オーツを理解するうえで重要なのは、一つの代表作から作家全体のスタイルを決めないことです。長いキャリアと膨大な著作を持つため、作品によって読書体験には大きな違いがあります。
『Babysitter』で目立つ断片化、視点の移動、時間の揺らぎなどは確かに実験的です。しかし、別の作品では家族や社会を比較的リアリスティックに追い、また別の作品ではゴシックやホラーの要素が前面に現れます。
したがってオーツを「いつも前衛的な小説を書く作家」と捉えるより、作品のテーマに応じてリアリズムから実験的手法、ゴシック、犯罪小説的な表現まで自在に使い分ける作家と捉えるほうが、次の作品も選びやすくなります。
まとめ:『Babysitter』は実験的だが、オーツ作品すべてが同じ作風ではない
ジョイス・キャロル・オーツの『Babysitter』は、断片的な場面、複数の視点、時間や心理の揺らぎなどが組み合わされた、実験性の強い作品です。そのため、冒頭を読んで「前衛的」と感じるのは自然な読書体験といえるでしょう。
一方で、オーツの他作品がすべて『Babysitter』と同じ形式で書かれているわけではありません。『them』のような社会的リアリズムの代表作もあれば、『Blonde』のように実在人物を大胆にフィクション化した長編、短い分量の中で心理的恐怖を描く短編もあります。
共通点を探すなら、「前衛的な構成」そのものより、暴力、欲望、階級、家族、ジェンダー、犯罪、人間心理の不安定さといったテーマに注目すると理解しやすくなります。『Babysitter』の形式が合わなかったとしても、それだけでオーツ作品全体が合わないとは限りません。反対に、その独特な不穏さに惹かれたなら、膨大な作品群の中から異なるスタイルの作品へ進むことで、オーツという作家の振れ幅をより深く楽しめます。


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