純文学に性的なシーンがあると純文学ではなくなる?ジャンルの基準と有名作品から解説

小説

純文学という言葉から、恋愛や性を直接的に描く作品はジャンルから外れるのではないか、と考える人もいるかもしれません。しかし、性的な場面が存在するかどうかだけで、作品が純文学か否かに分類されるわけではありません。日本文学を振り返っても、性欲、肉体、性愛、不倫、夫婦関係などを重要な題材とした文学作品は数多く存在します。

そもそも純文学には、すべての作品を機械的に分類できる厳密な定義があるわけではありません。作品が何を描こうとしているのか、その題材を通して人間や社会をどのように表現しているのか、文学的な表現や構成にどのような意味があるのか、といった複数の要素から捉える必要があります。

純文学は「性的描写のない小説」という意味ではない

日本で使われる「純文学」は、一般的には娯楽性を主な目的とする大衆文学・エンターテインメント小説と対比されながら発展してきた言葉です。ただし、両者の境界には明確な線が引かれているわけではなく、時代によっても捉え方が変化しています。

重要なのは、純文学を「扱ってよい題材・扱ってはいけない題材」で分類するものではないという点です。殺人を描いたから自動的にミステリーになるわけではないのと同様に、性を描いたから純文学ではなくなるというルールもありません。

むしろ性は、人間の欲望、愛情、孤独、身体性、老い、生と死、他者との関係などにつながる題材です。そのため、人間そのものを掘り下げようとする文学では古くから繰り返し扱われてきました。

性的な題材を扱った著名な文学作品は数多い

日本の近現代文学を見ると、性愛を重要なモチーフとして扱った作家や作品は珍しくありません。たとえば谷崎潤一郎の作品では、欲望や美意識、男女関係などが繰り返し重要なテーマになっています。

川端康成、三島由紀夫、大江健三郎など、文学史上重要と評価される作家の作品にも、性や肉体に関係する描写があります。現代文学でも、村上龍や村上春樹をはじめ、性的な出来事を人物造形や物語上の重要な要素として取り入れる作家は多数存在します。

したがって、「性描写がある=純文学ではない」という分類は、実際の文学作品には当てはまりません。性的な場面を含みながら文学作品として高く評価されている例が存在すること自体が、この点を分かりやすく示しています。

では純文学と官能小説の違いは何なのか

ここで混同しやすいのが、性的描写を含む純文学と官能小説との違いです。この二つも「描写が何行以上なら官能小説」といった方法で区別できるものではありません。

大きな違いとして考えやすいのは、作品全体において性的な描写がどのような役割を果たしているかです。性そのものによる官能的な刺激を作品の主要な目的としている場合と、登場人物の心理や人間関係、社会的テーマなどを表現するために性を描いている場合では、同じような出来事を扱っていても作品の性質は異なります。

例えば、ある人物の不倫を描く作品があったとします。不倫という出来事そのものを刺激的に見せることが中心なのか、それを通じて結婚制度、孤独、罪悪感、自己欺瞞などを掘り下げるのかによって、作品から受ける印象は大きく変わります。

性的なシーンより「なぜその場面が必要なのか」が重要

小説を書く側から考える場合、純文学らしさを気にして性的な場面をすべて避ける必要はありません。それよりも「この場面によって何を表現したいのか」を考えるほうが重要です。

例えば、それまで他人に心を開けなかった人物が恋人との関係を通して変化する物語なら、身体的な接触が人物の心理変化を表す重要な場面になる可能性があります。反対に、作品のテーマや人物造形とほとんど関係のない性的な場面が長く続けば、読者には唐突なサービス描写として受け取られることもあります。

これは性描写だけに限った話ではありません。暴力、食事、風景、会話など、どんな場面でも作品の中でどのような役割を持つのかによって表現としての意味が変わります。

描写が露骨なら純文学ではなくなるのか

描写の具体性についても、一律の境界線はありません。直接的な言葉を避けて暗示的に描く作品もあれば、肉体や性的行為をかなり具体的に描きながら文学作品として評価されるものもあります。

そのため「ここまで具体的に書いたら純文学失格」という文学上の共通基準が存在するわけではありません。表現の直接性は、作品の文体やテーマ、作者が狙っている読書体験との関係で考える必要があります。

ただし、文学上のジャンル分類とは別に、出版社、文学賞、投稿サイトなどにはそれぞれ掲載基準や応募規定があります。特定の媒体へ作品を投稿する場合には、その媒体が定める成人向け表現などの規定を確認する必要があります。

純文学とエンタメ小説の境界も実は明確ではない

純文学という分類を理解するときに注意したいのは、「純文学」と「それ以外」が完全に二分されているわけではないことです。文学性と娯楽性を両方備えた作品も数多くあります。

書店では出版社やレーベルの都合でジャンル分けされ、文学賞でもそれぞれ一定の傾向がありますが、それが作品の本質を完全に決定するわけではありません。同じ作家が純文学系の媒体とエンターテインメント系の媒体の双方で作品を書くこともあります。

したがって、創作するときに「この要素を入れたら純文学ではなくなる」と細かく恐れるより、自分が描きたい主題と表現方法を明確にするほうが作品作りには有益です。

文学賞を目指す場合は賞の傾向を見る

純文学作品を書いて新人賞などへ応募したい場合には、「性的なシーンがあるか」だけではなく、その文学賞で過去にどのような作品が評価されているのかを調べることが参考になります。

例えば純文学系新人賞であっても、扱われる題材は家族、労働、恋愛、ジェンダー、身体、病、社会問題など多岐にわたります。テーマだけで純文学性が決まるわけではないことは、過去の受賞作を読むと理解しやすくなります。

応募を考えている場合には、最新の募集要項で原稿枚数や未発表作品についての条件に加えて、内容に関する制限の有無も確認しておくと安心です。

純文学を書くときに意識したいポイント

純文学を書こうとしている場合、「純文学っぽい題材」を探すことよりも、自分がその物語で何を問いかけたいのかを掘り下げる方法があります。

性的な出来事を登場させるのであれば、その前後で人物の心理や関係がどう変化するのか、その出来事が作品全体のテーマとどうつながるのかを考えると、場面を入れる意味が明確になります。

一方、削除しても人物や物語にほとんど影響しない場面であれば、本当に必要なのか再検討する余地があります。これは純文学であるかどうか以前に、小説の構成を洗練させるための考え方です。

まとめ:性的なシーンの有無だけで純文学から除外されることはない

純文学は「性的描写をしてはいけないジャンル」ではありません。日本文学を振り返っても、性、肉体、欲望、恋愛などを重要なテーマとして扱った文学作品は数多く存在します。

性的なシーンを書いたという一つの理由だけで、その作品が純文学ではなくなるわけではありません。むしろ重要なのは、その描写が作品のテーマ、人物造形、心理表現、文体などの中でどのような意味を持っているかです。

また「純文学」「大衆文学」「恋愛小説」「官能小説」といった分類には重なり合う部分があり、作品を一つの要素だけで完全に分類することは困難です。創作ではジャンル名だけを意識するのではなく、作品全体として何を表現したいのかを軸に考えるとよいでしょう。

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