『マリア様がみてる いばらの森』祐巳が祐麒の私服を着る場面を考察|女子学生がメンズ服で外出するのは珍しい?

ライトノベル

『マリア様がみてる』シリーズでは、登場人物の日常生活や家族関係を感じさせる何気ない描写が数多く登場します。『いばらの森』で福沢祐巳が弟・祐麒の私服を借りて外出する場面も、その一つとして印象に残りやすいシーンです。

この描写を考える際には、「女子学生がメンズ服を着ること自体」と「弟が普段着ている服を借りること」を分けて考える必要があります。現代では女性がメンズ商品を選ぶことは珍しくありませんが、作品が刊行された1990年代末のファッション感覚、姉弟の体格差、祐巳自身の性格なども含めると、場面から受ける印象は少し変わってきます。

この記事では作品の具体的な文章を長く引用することは避けながら、祐巳と祐麒の関係や当時のファッション事情を踏まえ、この場面をどのように読み取れるのか整理します。以下、『いばらの森』を含むシリーズ初期の内容に触れるためネタバレには注意してください。

『いばらの森』に登場する福沢祐巳と祐麒は年子の姉弟

福沢祐巳はリリアン女学園に通う女子高校生で、福沢祐麒は祐巳より一学年下の弟です。年齢が近い姉弟であり、シリーズでは福沢家での日常を通して二人の距離の近さが描かれます。

『マリア様がみてる』というとリリアン女学園での人間関係が物語の中心ですが、祐巳が自宅へ戻ればごく普通の家庭生活があります。祐麒とのやり取りには、学園での祐巳とはまた違う「姉としての祐巳」が表れています。

そのため、弟の服を借りる場面も単純なファッション描写としてだけではなく、年齢の近い姉弟が同じ家庭で生活していることを感じさせる日常描写として読むことができます。

女性がメンズ服を着ること自体はそれほど特殊ではない

まず現実のファッションとして考えると、女性がメンズ向けとして販売されている服を着ること自体に、特別な問題があるわけではありません。Tシャツ、シャツ、スウェット、セーター、ジャケットなど、男女どちらでも着用しやすいアイテムは多数あります。

服にはメンズ・レディースという販売上の分類がありますが、それは着用できる人を厳密に限定するものではありません。サイズやシルエットが本人に合い、本人が気にならなければ普通の外出着として成立します。

例えば無地のセーターにジーンズといった服装なら、それを見た第三者が「男性用の商品だ」と判断できるとは限りません。現代ではオーバーサイズの着こなしも一般的なので、なおさら区別しにくいでしょう。

ただし「弟の服を借りる」のは別の心理が働く

一方、店頭で自分の意思でメンズ服を買うことと、家族とはいえ弟が普段着ている服を借りることは心理的には少し違います。

「弟の服だと知っていることが気になる」「サイズ感が合わない」「自分の趣味ではない」と感じる人もいれば、家族間の貸し借りをまったく気にしない人もいます。これは性別だけでなく、兄弟姉妹の関係や家庭内での習慣、本人のファッションへのこだわりによって大きく変わります。

したがって、女子学生なら弟の服で外出するには必ず大きな勇気が必要、とは一概にいえません。本人にとって自然な選択なら、それほど大げさな行動ではないからです。

1990年代末という作品の時代背景も考えてみる

『マリア様がみてる』シリーズ第1巻は1998年、『いばらの森』は1999年に刊行されています。そのため、この場面を現在のファッション感覚だけで評価すると、作品が書かれた当時との違いを見落とす可能性があります。

1990年代にも女性が男性的なデザインやゆったりした服を着ることはもちろんありました。一方、現在のように「ジェンダーレス」「ユニセックス」「オーバーサイズ」といった言葉を多数のブランドが前面に出して商品を展開する環境とは異なります。

その意味では、現在の読者がメンズ服を着る女性を見たときより、当時の読者のほうが多少「男の子っぽい服装」という印象を持った可能性はあります。ただし、そこから直ちに「女子には非常に勇気のいる格好だった」とまではいえません。

最も大きな問題になりやすいのは男女差よりサイズ

実際に姉が弟の服を借りる場合、性別より現実的な問題になるのがサイズです。一般的にメンズ衣料は同程度の身長を想定したレディース衣料と比較して、肩幅や身幅、袖などの設計が異なる場合があります。

トップスなら多少大きくても着られますが、ボトムスではウエストや腰回り、股上などの違いによって合わないことがあります。そのため、弟の服なら何でもそのまま姉が着られるわけではありません。

逆に年齢が近く、体格差も極端に大きくなく、セーターやシャツなど多少サイズに余裕があっても成立する服なら、共有のハードルはかなり下がります。「弟の服を着られる」という設定そのものに不自然さがあるわけではありません。

祐巳の服装を「節約のため」と断定するのは慎重に

この場面から「祐巳は衣服代を節約するため、弟と共用できる服は買わないようにしている」と解釈することは可能です。ただし、作品中でその方針が明確に説明されていないのであれば、そこまでを確定した設定として扱うのは慎重であるべきでしょう。

小説の人物描写では、「その日に適当な服がなかった」「借りることに抵抗のない姉弟だった」「目的に都合のよい格好だった」といった複数の理由が考えられます。一度服を借りた描写だけから、祐巳の衣服購入に関する長期的な方針まで決めることはできません。

特に『マリア様がみてる』では、日常の細かな出来事を通じて登場人物の性格や関係性を見せることがあります。経済合理性だけを読み取るより、祐巳という人物の日常感覚を示す場面として捉える余地も残しておいたほうが自然です。

福沢家は「極端な倹約家庭」として描かれているわけではない

祐巳が通うリリアン女学園には裕福な家庭の生徒も多く登場するため、周囲と比較すると福沢家が庶民的に見える場面があります。しかし、「庶民的」と「必要最低限の衣服しか買えないほど倹約している」は同じ意味ではありません。

シリーズにおける福沢家の描写は、祐巳を読者に近い感覚を持つ主人公として見せる役割も果たしています。華やかなリリアン女学園の世界と、祐巳の家庭での日常との対比が作品の面白さの一つです。

したがって、弟の服を借りたことを家計事情の直接的な証拠として扱うより、「祐巳ならそういうこともする」という生活感を表すエピソードとして読むほうが無理のない解釈になります。

「メンズ服」と「男性に見える服装」も同じではない

もう一つ重要なのが、メンズ服を着たからといって、必ず男性に見えるわけではないことです。服の販売カテゴリーと、着用した際に第三者が受ける印象は別だからです。

例えば男性向けとして販売された白いシャツや紺色のセーターでも、女性が着れば単にゆったりしたシャツやセーターに見える場合があります。逆に、男性的なシルエットを意図的に組み合わせれば、ボーイッシュな印象を強くすることもできます。

小説の場面を考察するときも、「弟の服=一目で男物だと分かる格好」と自動的に置き換えないことが大切です。具体的にどのような服を、どのような目的で組み合わせているかまで含めて考える必要があります。

女子校を舞台にした作品だからこそ私服の描写が目立つ

『マリア様がみてる』では学校生活の多くを制服姿で過ごすため、登場人物が私服になる場面は、普段との違いを感じさせる要素になります。

制服は学校という共同体の一員としての姿ですが、私服には家庭環境、本人の好み、生活感覚などが現れます。そのため祐巳が家庭でどのような服を選び、家族とどう接しているかという描写には、短い場面でも人物像を補強する効果があります。

弟の服を借りられるという事実からは、少なくとも祐巳と祐麒が「衣服を絶対に共有したくないほど距離のある姉弟」ではないことがうかがえます。こうした生活上の距離感に注目すると、場面をより楽しみやすくなります。

現代の女子学生ならメンズ服はさらに取り入れやすい

現在ではメンズ売り場の商品を女性が購入したり、男女共通の商品を着たりすることは広く見られます。大きめのスウェット、パーカー、Tシャツ、シャツなどは特に取り入れやすいアイテムです。

ファッションブランド側もユニセックス商品を展開しているため、「男性用の商品を女性が着ている」という意識そのものが以前より薄くなっています。デザインによっては、商品タグを確認しなければメンズかレディースか分からないものもあります。

そのため現代の感覚であれば、女子学生が年齢の近い兄弟のパーカーやシャツを借りて近所へ出かけること自体は、特別に大胆な行為とは考えにくいでしょう。ただし本人が服装を非常に気にするタイプなら、当然抵抗を感じる可能性はあります。

服装への抵抗感には大きな個人差がある

「どれくらい勇気が必要か」を一般化しにくい最大の理由は、服装に対する価値観の個人差です。

人からどう見えるかを非常に気にする人なら、普段とは違うシルエットの服で外出するだけでも落ち着かないでしょう。一方、服を実用品として考える人なら、サイズが合って清潔で目的に適していれば、弟の服であることをほとんど気にしないかもしれません。

これは女子学生に限った話でもありません。兄が姉のユニセックスな上着を借りる場合などでも、本人が気にするかどうかによって心理的なハードルは大きく変わります。

作品を考察するときは「可能な解釈」と「作中設定」を分ける

小説の細かな場面について考える楽しさの一つは、書かれていない背景を想像できることです。しかし考察をするときには、本文で明示されている情報と、読者がそこから推測した内容を分けておくと理解しやすくなります。

例えば「祐巳は弟の服を借りた」という描写が明示されているとしても、「服代を節約するため普段から姉弟で服を共有している」というところまで作品が説明していなければ、後者は一つの解釈になります。

考察として成立することと、公式設定として確定していることは別です。この区別を意識すると、『マリア様がみてる』のように人物の日常を丁寧に描く作品をより深く楽しめます。

まとめ:祐巳が祐麒の服を借りる場面は姉弟の日常感にも注目したい

女性がメンズ服を着て外出すること自体は、必ずしも大きな勇気を必要とする行為ではありません。シャツやセーター、Tシャツなどは性別による見た目の差が小さい商品もあり、サイズさえ合えば自然な私服として着用できます。

ただし、作品が刊行された1990年代末と現在ではファッションを取り巻く言葉や流行が異なります。また「男性向け商品を自分で買って着ること」と「弟が普段使っている服を借りること」でも心理的な感覚は異なるため、抵抗があるかどうかにはかなり個人差があります。

『いばらの森』の場面についても、祐巳が倹約のために衣服を共有しているという読み方は一つの考察として可能ですが、それだけを理由として断定する必要はありません。福沢家の庶民的な生活感、年子である祐巳と祐麒の距離感、祐巳の気取らない人物像など、複数の要素から読むことができます。

特に『マリア様がみてる』は、学園内の人間関係だけでなく、こうした何気ない日常描写にも登場人物の個性が表れています。弟の服で外出するという小さな描写も、祐巳がリリアン女学園を離れれば普通の家庭で暮らす高校生であり、祐麒とは気兼ねの少ない姉弟であることを感じさせる場面として捉えると興味深いでしょう。

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