太宰治『人間失格』の「3葉」についての疑問と解釈

読書

「人間失格」の冒頭で語られる「3葉」という表現について、質問者が感じた疑問に対して解説します。これは、主人公の葉蔵の名前に由来するものなのか、それとも他の理由があるのでしょうか。加えて、物語中で語られる「後書き」や「はしがき」の人物についても考察します。

「3葉」という表現の意味

まず最初に、質問者が指摘した「3葉」の表現についてですが、これが「3枚」ではなく「三葉」と読まれている点は興味深いです。この表現が果たして、主人公の名前「葉蔵」から来ているのか、それとも単なる誤解なのか、いくつかの可能性があります。

「3葉」という表現は、主人公の名前と関連している可能性もありますが、文脈的に見ても、特に「葉蔵」に関連するとは限りません。従来の表現として「3枚の写真」が普通であり、単なる記述の誤り、または太宰治の意図的な使い方である可能性も考えられます。

昔の日本語表現と「葉」の使用

また、昔の日本語で「葉」を「枚」と読み間違えることがあったのでしょうか?「葉」は一般的には「は」と読まれることが多く、「枚」もまた写真などに使う単位ですが、混同されることはあり得ます。特に、昭和の時代では文語体が多く使われていたため、こうした表現が混ざることもありました。

「後書き」と「はしがき」の語り手

次に、物語の「後書き」と「はしがき」の語り手が同一人物である可能性についても考えられます。実際、「後書き」と「はしがき」の語り手は、作中で直接的に説明されていないため、読者の解釈に委ねられています。これがヒラメ(主人公の名前の一部)であったり、太宰治自身であったりすることも考えられますが、確定的な証拠はありません。

まとめ

「3葉」の表現については、直接的な解釈が難しい部分がありますが、太宰治の作品らしく、複数の解釈が可能な余地を残していることがわかります。また、「後書き」や「はしがき」の語り手が誰であるかも、太宰治の意図的な曖昧さが影響していると言えるでしょう。こうした未解決の部分こそが、読者に深い思索を促す要素となっています。

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