小説において、三人称視点で物語を進めることは非常に一般的です。しかし、三人称視点で書く場合、「作者が中に入った語り」をすることは適切かどうか、という疑問を抱くことがあるでしょう。この記事では、この点について詳しく解説し、執筆における注意点や実際の効果についてご紹介します。
三人称視点の基本とは
三人称視点では、物語の語り手は登場人物の外部に位置し、読者に状況や登場人物の行動、感情を伝えます。最も一般的な形は「全知全能の三人称視点」で、語り手が登場人物全員の思考や感情を理解し、あらゆる事象を把握することが特徴です。
ただし、三人称視点にはいくつかのバリエーションがあり、「限定的三人称視点」では語り手が特定の登場人物の視点を中心に物語を進めます。これにより、読者はそのキャラクターの知識と感情を直接的に感じることができます。
「中に入った語り」の問題点
「中に入った語り」とは、物語の語り手が、物語の中に介入して、直接的に意見や解説を述べることを指します。例えば、語り手が登場人物の思考をそのまま伝えるだけでなく、登場人物の感情や行動に対してコメントを加える場合です。この方法は、登場人物の視点を超えて、作者の意図や解釈が強調されることになります。
このような語り方は、三人称視点において一般的にはあまり好まれないことが多いです。なぜなら、物語の視点を保持しつつ、作者が登場人物から一歩離れた位置で解説を加えることが、物語の自然さや流れを損ねてしまうからです。
中に入った語りを使いたい場合の工夫
とはいえ、物語の中に作者の視点や意見を織り込むこと自体が間違っているわけではありません。たとえば、登場人物の心情を深く掘り下げるために、少し作者の声を交えることで、読者に強い印象を与えることができます。
その際には、登場人物の視点を完全に離れないように注意し、語り手が感情的に偏りすぎないようバランスを取ることが大切です。また、登場人物の行動に対する作者のコメントを挿入する場合、それが物語の進行を妨げないように工夫することが求められます。
実際の小説における「中に入った語り」の事例
実際の小説では、三人称視点であっても、意図的に「中に入った語り」を使っている作品もあります。例えば、ジョージ・オーウェルの『1984年』では、物語の進行に合わせて、時折語り手が登場人物の感情に直接的にコメントを加え、読者に物語の主題や社会的なメッセージを強く印象づける方法が取られています。
また、村上春樹の作品でも、登場人物の思考や感情に語り手が寄り添いながらも、時にはその中に独自の解釈を加えることがあります。このような使い方は、特に哲学的なテーマを扱う作品で効果的です。
まとめ
三人称視点で物語を書く場合、「中に入った語り」を使うことは必ずしも避けるべきものではありませんが、その使い方には注意が必要です。語り手が物語に過度に干渉しすぎると、読者の没入感を損ねてしまう可能性があります。しかし、うまく使えば、登場人物の感情や状況を深く掘り下げ、物語に強いメッセージ性を持たせることができるので、執筆においてはバランスが大切です。
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