太宰治の小説『走れメロス』に登場する「沈む太陽の10倍の速さで走った」という表現は、非常に印象的であり、文学的に強いインパクトを与えています。しかし、この表現が示す「沈む太陽の速さ」とはどの程度の速度であり、人間がその速さで走ることは実際に可能なのか、という疑問が生じます。今回はその速さと、ウサイン・ボルトのような世界記録を持つスプリンターがこの速さにどれほど近づけるかについて考察します。
1. 沈む太陽の速さとは?
「沈む太陽」とは、地平線に向かって沈んでいく太陽の動きです。この速度を計算するには、太陽が地平線に沈むまでの時間を基に速度を割り出す必要があります。地球の自転により、太陽は1時間で約15度の角度を移動します。地球の直径を約12,742kmとして、地球を1周するのにかかる時間は約24時間です。
太陽が沈む速さは、場所や時刻、季節によって異なりますが、一般的に1時間で約15度の角度を進むとすると、太陽が沈む速さは地表の1時間あたりの移動距離を計算できます。計算すると、太陽が地平線に沈む速度は時速約1,700km程度になります。
2. 10倍の速さで走るということ
「沈む太陽の10倍の速さで走る」という表現を解釈すると、太陽が沈む速さ(時速約1,700km)の10倍、すなわち時速約17,000kmという非常に速い速度になります。これは現実的には達成不可能な速度であり、飛行機の巡航速度にも匹敵するスピードです。
実際に、人間がこの速度に達することは、現代の技術では不可能です。ウサイン・ボルトの100m走の世界記録は約9.58秒で、最大時速は約44.72kmに達しますが、17,000km/hという速度は遥かに高く、物理的に人間の能力を超えています。
3. ウサイン・ボルトでも無理?
ウサイン・ボルトの最大時速が44.72kmということを考えると、時速17,000kmという速度は、比べるまでもなく何万倍も速いことが分かります。ウサイン・ボルトでも、地球の速度のわずかな一部分にしか過ぎません。このため、「沈む太陽の10倍の速さで走る」という表現は、文学的な誇張であり、実際には人間が到達できない速度であることがわかります。
それでも、この表現は『走れメロス』の主人公の意志の強さや、不可能に挑む決意を象徴しているとも言えます。太宰治は、メロスの不屈の精神を描くために、現実的には不可能な速さで走るという比喩を用いたのでしょう。
4. 文学的な誇張としての速さ
文学における誇張や比喩表現は、読者に強い印象を与えるための技法です。この「沈む太陽の10倍の速さで走った」という表現も、メロスの精神力を表現するために使用されています。メロスは命を賭けて友情を守るため、物理的には不可能な速さで走り続けることを決意します。この誇張は、彼の覚悟や情熱を強調するための文学的手法として機能しています。
したがって、この速さを文字通り受け取るのではなく、メロスの心の強さを象徴する表現として解釈することが重要です。
5. まとめ:文学的誇張としての「走る速さ」
「沈む太陽の10倍の速さで走る」という表現は、物理的に不可能な速度を示していますが、それはあくまで主人公メロスの決意と不屈の精神を表現するための比喩です。実際には、人間がそのような速さで走ることは不可能ですが、文学作品においては、このような誇張が登場人物の特別な特性や精神性を強調するために使われます。
『走れメロス』のこの表現は、物語のテーマやメロスの成長をより感動的に伝えるための重要な要素であり、物理的な限界を超えた精神的な強さを象徴しています。
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